兄貴と慕う梅沢富美男と梅宮辰夫の関係

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俳優の梅宮辰夫さんが、12月12日に慢性腎不全のため亡くなったことで、梅沢登美男さんが、TOKYO MX「バラいろダンディ」に出演したさい、梅宮さんとの思い出を涙ながらに語りました。

 

梅宮辰夫さんは、一番尊敬する俳優さんで随分前に山城新伍さんとやっていた番組に、梅沢さんが売れたばかりの頃に呼んでくれて、その時からずっとかわいがってくれていたそうです。

 

梅宮さんからは「役者ってのはみんなの憧れだから、そういう存在でないと駄目だよ。みんなが見て憧れるような存在じゃなきゃ役者は駄目だ」と言われたのを思い出しますと語りました。

 

梅沢さんにとって、梅宮辰夫さんは憧れの人で、「目標にしていたけれど、まだまだ駄目だな。小さいわな。なれない、なれない」と、梅宮辰夫さんの背中を追いかけ続けると話しています。

 

そして、この番組にも共演してくれたことに対し、「こんなくだらない番組にも出てくれて、お前が言うんだったら出ようかって一回出てくれて、その時は嬉しかったな。

頭が上がらないというか、憧れていた。先輩って頭を下げる人がいなくなっちゃんたんだよ」と語っています。

 

梅宮辰夫さんが病気のことを隠していたことについて「ある人から聞いたんだけど、『役者ってのは常にキャスティングされてナンボだから、俺が具合が悪いって言ったら、キャスティングが外れるだろ?だから言わねえんだよ』ってかっこいいじゃないの」と声をつまらせながら語りました。

 

梅沢さんは、梅宮さんの酒を飲む時や食事をするとき、いつもかっこ良かったとしんみり振り返っていました。

 

番組内では、2016年12月1日に梅宮さんが出演したVTRを流しましたが、娘のアンナさんからは、番組宛にメッセージが届き、全文を読み上げました。アンナさんはたった1回の出演にもかかわらず、テレビに出る機会を与えてくれたと感謝の言葉をそえ、梅沢さんには「これからも元気で長生きしてください」と伝えています。

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■梅宮アンナコメント全文

バラいろダンディをご覧の皆様、
出演者の皆様、番組関係者の皆様。
父・梅宮辰夫の為にお時間を頂き
ありがとうございます。

父はテレビに出る事が何よりも生きがいで、
そんな機会を与えてくれた皆様には
感謝しかありません。

梅宮辰夫を最後の最後まで
梅宮辰夫でいさせてくれたのは、
ほかでもないファンの方々や、
共演して頂いた皆様、番組を作って頂いた
スタッフの皆様あってのことと思っています。

梅宮辰夫を最期まで愛してくれて
ありがとうございます。

最後に、梅沢(富美男)さんと父がバラいろダンディで
共演してくれることをずっと夢見ていました。

梅沢さん、今まで父を色々とフォローして頂き
ありがとうございました。
梅沢さん、これからも元気で長生きして下さい。

そして、バダいろダンディをご覧の皆様、
共演者の皆様、スタッフの皆様、
今後ともよろしくお願いします。

梅宮アンナ

引用:ORICON NEWS

 

 

梅宮辰夫のプロフィール!

梅宮辰夫さんは、1938年3月11日生まれ、出生地は満州国のハルビンで、俳優・タレントです。娘はモデルでタレントの梅宮アンナさんです。愛称は「辰兄」「辰ちゃん」で、東映ニューフェースとしてデビューしています。

 

俳優以外では、飲食事業の経営やバラエティー番組にも挑戦しています。料理が上手で、婦人のクラウディアさんとの共演などで家庭の話などをたびたび紹介しています。

 

 

梅宮辰夫さんの祖父の辰次郎さんは陸軍士官学校卒業後に日露戦争に従軍し、父親の次郎さんは辰次郎さんの次男で、満州医科大学を卒業後に医師となっています。梅宮辰夫さんも、早稲田高等学校卒業後に医学部を受験しましたが、失敗し日本大学法学部に入学し、中退しています。

 

梅宮辰夫さんは、大学在学中に銀座でスカウトされ、1958年に東映のニューフェース5期生で合格し、翌年の1959年に映画「少年探偵団 敵は原子潜水艦」シリーズで主演デビューしています。当時は「遊星王子」などの子供向けのヒーロー映画にも主演していました。

 

1960年に当時の東映が売り出していた波多伸二がデビュー4作目で急死し、波多に代わるスターを探していたところ、岡田茂プロデューサーによって梅宮辰夫が抜擢されました。その後梅宮辰夫さんは、次世代のスターとして売り出されることになります。

 

その後、1964年の「暗黒街大通り」まで、アクション映画や任侠映画の硬派な役柄で売り出していましたが、私生活が派手になっていく梅宮辰夫を見て、岡田プロデューサーは、梅宮の私生活に近いプレイボーイで女を泣かす役柄をあてるようになりました。

 

1965年に放映された「ひも」に始まり、「夜の青春シリーズ」や「不良番長シリーズ」が制作されました。当時は東映東京の看板スターだった鶴田浩二や高倉健と一緒に東映京都に行くことも多くなり、除々に梅宮辰夫さんは東映東京の看板スターとなりました。

 

その頃の梅宮辰夫さんのモテ方は、現在のタレントとは比べものにならないほどだったそうです。1972年、自身が経営する事務所「梅宮企画」の倒産などによって多額の借金を抱える中、クラウディア・ヴィクトリアさんと再婚し、同年にアンナさんが誕生しています。

 

1974年に、睾丸腫瘍を患い、癌細胞は肺にまで達していましたが、抗がん剤による科学療法によって治癒しました。科学療法による副作用の脱毛も全く起こらなかったことに、主治医は驚いていたといいます。

この病気のあと、梅宮さんは夜遊びをやめ、酒を減らし、早起きして料理に励むといった生活に変わっていきました。

 

1975年のテレビドラマ「前略おふくろ様」に出身し、渋い板前約を演じるなど、役柄を広げることになりました。

また、1977年の大映テレビ制作の刑事ドラマ「新・夜明けの刑事」では、温厚な人柄の刑事課長を演じたことで新境地を開いています。

その後は、「スクール☆ウォーズ」、「はぐれ刑事純情派」、「特命係長 只野仁」などのテレビドラマで名脇役として活躍しました。

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