元ももクロメンバー有安杏果の芸能界本格復帰はいつ?

元ももクロのメンバーである有安杏果さんは、2018年の1月15日、ももクロを卒業すると電撃発表し、1月21日に卒業ライブを行うというあわただしい展開になって世間を騒がせました。

ももクロ有安杏果ラストライブ*メンバーから花束とともにメッセージを送られた

 

ももクロの卒業については、一部のネット上で他のメンバーからのいじめが原因ではないかと噂されていましたが、専属ライターなどの検証によると不仲による卒業ではないとしています。不仲説は加入当初、他のメンバーとの距離感があった時の写真が拡散されたことからではないかと見られています。

 

ももクロ脱退に関しては、その前年から考えていたそうで、メンバーに報告したのは直前の2017年の12月頃だったといいます。脱退後は写真家として活動してくのかもしれないと噂されたり、復帰はないだろうと見られていました。

 

2019年1月15日、SNSでファンに「音楽活動や写真活動を通して表現し、伝えていく活動を始めます」と発表し、個人事務所を設立し自分のペースで活動してくことを報告しました。

 

これを受けて、ももクロのメンバーは、公式サイトに仕事ではないお知らせという形で「これからのストーリー お互い頑張ろうね」という一文を掲載しています。

 

そして、2月6日に医師である一般男性と結婚を前提に交際していることを告白していますが、男性は現在の事務所の代表を務めています。

 

2019年3月27日になんばHatchで、復帰後初のライブ「有安杏果 サクライブ2019~Another story~」を開催し、7月15日から8月14日に全国6都市をまわるツアーを開催しました。そして、11月23日、交際中だった一般男性と結婚したことを24日に報告しています。

有安杏果「愛されたくて」サクライブ2019

 

有安杏果のプロフィール!

有安杏果(ありやすももか)さんは、1995年3月15日生まれ、埼玉県出身のシンガーソングライター・写真家です。日本大学藝術学部写真学科を卒業しています。

 

元ももいろクローバーZのメンバーで、2018年1月に卒業しています。ももクロでのイメージカラーは緑でした。ソロ活動では、ドラム・ギター・キーボードを担当し、作詞作曲も担当していました。

 

2016年に横浜アリーナで開催された単独ライブでは1万人を動員し、2017年にはメンバー初となるソロアルバム「ココロノオト」をリリースし、東名阪ツアーや日本武道館でのライブを行っています。

有安杏果(ももいろクローバーZ) 1st solo ALBUM『ココロノオト』TRAILER MOVIE

 

有安杏果さんは、1年間の活動休止期間のあと、2019年1月15日に活動を再開し、以降はソロ歌手として、また写真家として活動しています。148cmの小柄な身体からのダイナミックなダンスと歌唱力に定評があり、「小さな巨人」と呼ばれていました。

 

幼少期にEXILE系列の育成所であるEXPGに所属していたことがあり、ムーンウォークやパントマイムなどの動きも得意とし、NTTレゾナンドのアンケートでは「歌の上手いアイドル」のランキング2位になったことがあります。

 

杏果の名前の由来は、母親がドラマ「ダブル・キッチン」を見て、お腹の中にいるときに「ももちゃん」と呼びかけていたことから、そのまま「ももか」になったそうです。

 

1995年0歳のときに、雑誌の赤ちゃんモデルで芸能活動を始め、その後キャロットに所属しました。小学生時代の2004年4月から2005年3月まで、フジテレビの「ポンキッキーズ21」に「シスターラビット」としてレギュラー出演しています。

「Choo Choo TRAIN」のミュージカルビデオに出演したり、EXILEと岡村隆史のコラボユニット「オカザイル」のキッズメンバーにも選ばれています。小学生時代に喉の声帯結節の手術を受けていますが、幼い頃から無理な発生方法で大声を出し続けたことが原因だといいます。

 

中学生になると、キッズダンサーとしての扱いがなくなり、オファーもなくなったこともあり、「笑顔で踊りながら歌いたい」という思いから、別の道を選択することとなりました。

 

2009年にダンスボーカルグループ「Power Age」に加入しますが、3ヶ月後にグループが解散してしまいます。2009年7月26日「スタ☆フェス Vol.006」で、ももいろクローバーに加入し、当時のキャッチフレーズは「ちょっぴりおバカな小さな巨人」ですが、その理由として勉強には一生懸命取り組みますが、一般常識には疎かったからだそうです。

 

有安杏果さんは、キッズダンサー時代から表舞台でのオンとオフを意識していましたが、ももクロへの最後の加入だったこともあり、ももクロの自由奔放な雰囲気に距離を置くようになったといいます。

 

ももクロ「米子の夜」とは?

ももクロの自由奔放な雰囲気に最初は馴染めなかった有安杏果さんは、2012年の鳥取県米子市でのライブが終わったあと、有安杏果さんに対して「もっと輪の中に入ってきてほしい」と思っていたメンバーたちと2時間ほど話し合いをしました。

 

この話し合いで気持ちをぶつけると、お互いがパーソナリティーを理解しあえるようになり、有安杏果さんも自分のペースで、ももクロの雰囲気に自然に溶け込んだといいます。この出来事は「米子の夜」としてファンの間にもよく知られています。

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