ママになった華原朋美「芸能界はそんなに甘くない」

華原朋美芸能人
https://news.mynavi.jp/article/20200209-970451/

2019年8月に男の子を出産した華原朋美が、2月9日東京都で行われた「TGCオーディション2020 公開ドラフト会議」に出席しました。

ママとなってからは、あまり公の場にまだ出ておらず、注目を集めました。

その時のコメントが注目を集めていますので、その言葉から、華原朋美についてまとめていきます。

華原朋美

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200209-02090599-nksports-ent

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公開ドラフト会議でのコメントとは

この日、自身が所属するプロダクションを代表して参加した華原朋美は、タレントの卵である2人との交渉権を獲得することができました。

その際、「芸能界はそんなに甘いところではないし、いいことばかりではない。すごく努力が必要なときがたくさん出てくる。でも、その努力を怠らなければ、前へ自信をもって進めると思う。」とアドバイスをしました。

また「私はいろんなことがあって、波あり谷ありでいろんなことを経験した。それでもこうして立っていられるのはファンの皆さんのおかげ。ファンの皆さんを大切に思って頑張ってほしい。」と声をかけました。

この「波あり谷あり」という発言に注目が集まっています。

華原朋美の芸能界人生

華原朋美

https://www.uta-net.com/movie/9833/

華原朋美について簡単に、まとめてみました。

  • 1990年 全日本国民的美少女コンテストに応募

(しかし親子面接で母親が反対したため、本戦には進めず)

  • 1993年 「さんまのナンでもダービー」でアシスタントを務める
  • 1993年 ラジオのオーディションを受けるが落選
  • しかしこれをきっかけとして、グラビアに挑戦
  • 深夜番組などでアイドルとして活動しながら、オーディションを受ける
  • バラエティー番組に出演していたとき、それを見ていた小室哲哉に見初められる

(まもなく小室哲哉と交際を始める)

  • 歌声を聞いた小室哲哉が感動し、歌手デビューを決める

(デビューの直前に交際報道が出る)

  • 1995年 事務所を移籍、歌手デビューを果たし、年末の新人賞を総なめした。
  • 1996年 新人としては異例のミリオンセラーを達成

その後もミリオンセラーを出し、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。

  • 1997年 発売したCDはどれも首位を獲得した。
  • 1998年 歌手活動を続けながら、ドラマにも挑戦

(小室哲哉と破局する)

なりたい顔に選ばれるなど、絶大な人気を勝ち取り、華原朋美の真似をする人を「カハラ―」と呼ぶなど、社会現象をももたらした。

  • 1999年 自宅でガス中毒で倒れ、緊急入院する。

このとき、一時意識不明の重体だったこともあり、さまざまな報道が流れる。

帰会見を行うも、一週間後に自宅マンションのロビーで倒れ、再入院となる。

  • 不完全な状態で、再度復帰会見を行い、活動を行う。
  • 2000年 「100%の自分を取り戻すため」とのことを理由に、無期限で休養を行い、カナダへ留学をした。
  • 2001年 凱旋帰国をし、活動を再開。

この年からバラエティーでの活動も本格的に始める。

  • 2007年 昨年末からの体調不良の影響で4月まで自宅療養を行う。
  • 2007年6月 所属事務所が契約解除を発表。
  • 2009年1月 急性薬物中毒で倒れ、緊急搬送。
  • 2010年8月 タクシーの中で意識もうろうし、救急搬送。

薬物依存が続いたため、家族の判断により、閉鎖病棟に入院。

退院後は、父親の住むフィリピンに行き、ボランティア活動を行う。

  • 2012年 以前契約していた所属事務所と再契約、復帰を果たす。
  • その後は体調不良などもあるが、精力的に活動を行う。
  • 20019年 第一子となる男の子を出産

こう見てみると、波乱万丈な人生だったことがよくわかりますね。

90年代は、歌姫と称され、とても人気があり、ファンだった人もたくさんいると思います。

代表曲である「I’m proud」「I BELIEVE」「Hate tell a lie」などは、聞けば口ずさむことの出来る方も多いのではないでしょうか。

いいことばかりではない人生

華原朋美と小室哲哉

https://www.pinterest.jp/pin/837669599421833369/

小室哲哉と破局を迎えてからの華原朋美は、休養を繰り返し行っていました。

のちに薬物依存に陥り、閉鎖病棟に入院することになります。

当時華原朋美のお兄さんは、「ふらふらと下着一枚で道路に出て行ってしまうこともある。ラムネを食べるようにボリボリと(薬を)服用してしまう。」と明かしていました。

当時の華原朋美を良く知る人は、「部屋の中はごみ屋敷となっていた。華原自身も廃人のようになっていて、食事が薬となっているような状態」と話していました。

入院後はとにかく大変で、泣いて暴れたり、幻覚を見ることもあったそうです。

もう薬を飲まないと誓って退院しても、また飲んでしまったり、と何度も繰り返していたそうです。

その後、他の人生を考えはじめ、違う仕事をしたそうですが、やはり歌手でいたいと思ったそうです。

その際、「頑張っていきたいなら、お父さんのところにおいで」と言われ、フィリピンへ渡ったそうです。

約1年ボランティア活動を行い、その後日本で復帰に向けて、準備をしたとされています。

現在はママとしての幸せ

2019年に出産した華原朋美は、今回行われた公開ドラフト会議で、「今は、もう、ちゃんとかわいい息子もすくすく育っていますし、今は幸せでいっぱいです。」と語っていました。

頑張って審査を受ける子供たちの姿も「親の気持ちでかわいいなと思って見ていました」と語り、素敵な笑みが零れていたそうです。

今幸せを掴んだ彼女は、本当に幸せいっぱいなのでしょうね。

まとめ

最近は昔ほどのテレビの露出はないものの、未だに朋ちゃんスマイルは健在ですね。

たくさんの苦労もあり、辛い出来事をたくさん乗り越えてきた華原朋美は、また新たな幸せを掴み、幸せの階段を昇っています。

育児も大変で辛いことも多いですが、息子さんとともにさらに幸せを築いていただきたいですね。

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